ワルモノ先生への手紙 1

ーこの話はすべてフィクションです。ー

あまり広くはない部屋。シンが入ってくる。
それほど大事でもなかったのか、抱えてきた壷のような物をベッドの足下に面倒臭そうに置く。
少し離れて窓には白い花を生けた萌葱色(もえぎいろ)の花瓶。
持ってきた物と入れ替えようとしたが、気に入らなかったようだ。

尖った光が射してくる窓の外に、庭の手入れをする夫が見える。
シンは話しかけるが、声は少しも届いてない様子。
リビングから廊下を走り抜ける子供たち。
黄色のシャツと靴下、 キャンディの包み紙。
嫌な訳ではない。ただコンクリート製の現実がウンザリさせるのだ。
朝から気付いたら家事、 洗濯や掃除、それも特に雑事におわれている。
”私はこの窒息しそうな日常を生き続けなければいけない”
シンは視線を夫に向けながら”宛てもない違う物語”を夢想する。
乾燥しきった砂漠は、”非日常”を求め始めている。

画像夫は背後からの殺気に身震いする。
黒塗り甲冑を着た荒武者が、刀を構え斬り掛からんとしているのだ。
狂気からの幻覚である事は充分知っている。
それでも、あたりには血の臭いが漂い、
装飾を施した鎧、金属がこすれ合う音がリアルな実在感を感じさせる。
幻覚はその気になれば、テレビのチャンネルを変えるように消し飛ぶ事を知っている。
ただそのやり方がわからないだけだ。
荒武者が、すり足で滲み寄る。押し殺された気配を感じる。
彼はそれでも、これまで通り幻覚を無視する事が出来るはずだ。
背中越しに、家があって妻や子供がいて、日常があると思い込む事が出来る。
”今度もうまくやれる。父親であり夫であり社会人である事をきちんと演じられる”


恐怖心と戦い正常な意識を演じる為に・・・
地面に拾った木の棒で「水素」から順番に元素記号の配列表を書き込む。



机の上にはボンベイサファイアの青い瓶。そしてクリーム色の便箋。
シンは「覗いてみたい」という強い衝動に駆られる。
音を立てずにめくってみる。どうやら夫は消息不明の弟に宛てて手紙を書こうとしているらしい。
まだ夫は庭で土をいじっている。

 弟よ
 君が突然世田谷のアパートから消息を絶って以来
 僕は体の一部を失ったような痛み
 つまり、どうしようもない喪失感を味わっている

シンはキッチンからアールグレイのティーカップを持ってきて、手紙の続きを読む。
そこには書かれていたのは
彼ら兄弟の間だけに通じるデタラメ・・・架空の作り話
フィリピンで行われている架空の軍隊による、世界政府との架空の戦争
そして架空の指導者ワルモノ先生が発する世界への指令

 ・・・むしろこう呼ぶべきかい?ワルモノ先生。(そう、君こそがワルモノ先生なんだよ。)
 僕らが発明した架空の戦略;世界に対する慈愛に満ちた奉仕を思い出して欲しい

手紙を通して、シンは自分が知らない夫の姿をかいま見た。まるで10歳の少年が6歳の弟におとぎ話を丹念に読み聞かせるような優しさがそこにはあった。おくびにも出さないが、夫は弟が失踪した事を苦しみ続けている。ずっと今まで。

 君を責めているのではない。
 こうやって生きていく限り、戦わなくてはならないんだ。ひどい幻覚や悲しみと
 そして、(だからこそ)本気でやりたい事をやるべきだ。人生は長くない”


結婚するずっと前に、シンは小説を書こうとしていた事を思い出した。

本気で「世界」を変える事が出来ると思っていた。
直射日光、熱帯の海、カーニバル・・・よりも熱く燃えたぎる情熱。
閉じ込めてきた感情が、噴流となってこみ上げて来る。
頬を涙がつたうのを感じる。


彼は苦しんでいる。
「直下型地震」「燃料棒露出」「原子炉溶融」「水素爆発」「立ち上る黒煙」「3キロ圏内」
「拡散するセシウム」「事故調査委員会」「500ベクレル基準値」
こういった事すべてのメタファーが、彼を苦しめ続ける。
彼は、まるで血まみれの落ち武者の気分だった。
こんなにもクソったれた状況でも、彼はやるべき事をわかっていた。
「僕は何としても家族を守りたい。妻と子供たちを守りたい。」


宙空をさまよっていた太陽は、地平線に落ち着こうとしている。
庭の片隅には木製のベンチがあり、先程まで室内を駆け回っていた兄妹が座っている
二人は声を揃えて歌いだす


Good times for a change    変るには良い時だ。
See, the luck I’ve had     ほらごらん、幸運な事にずっと苦しめてきた
would make a good man     善人どもが正体を現し
turn bad            悪人へと変る

So please please please    だから、どうか、どうか、どうか
let me, let me, let me      この僕に、僕に、僕に
let me get what I want     心から望む機会をお与えください。
this time           今回ばかりは

               ※PLEASE, PLEASE, PLEASE, LET ME GET WHAT I WANT
                    byTHE SMITHS/ HATFUL OF HOLLOWより引用


そう、変るのに遅いと言う事はない、今からでも
本気になるなら、変れる
本気になるなら、世界をより良く変える事が出来る
それが出来なかったのは、本気でなかったから、不真面目だったから

そう、変るのに遅いと言う事はない、そしてそれはまさに”今”だ



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