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zoom RSS 「味覚」と「メランコリー」

<<   作成日時 : 2017/02/19 16:53  

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「味覚」と「メランコリー」
                                                              橘 正博

(1)さだまさし原作の「ちゃんぽん食べたか」というドラマが、NHKで放映されたのは2015年のことです。かつて地元・長崎で神童と呼ばれた“まさし少年”が、単身上京してバイオリン修行に励むも、「天才」から「秀才」へ、やがては「普通の人」へと転落挫折するさまを、コミカルに描いた原作者本人の自伝的物語。今を時めく俳優・菅田 将暉(すだまさき)さんの演技が冴えわたり、「地元を離れて都会で生きる者」の葛藤や哀愁(メランコリー)が、とてもよく表現されていました。

 ちなみに、タイトルの「ちゃんぽん食べたか」が意味するのは、(九州北部の人ならわかると思いますが)「ちゃんぽんを食べたい」であって、「ちゃんぽん食べましたか?」の疑問ではありません。(文節で区切るなら、「食べ」・「たか(〜したい)」です。「食べた」・「か」ではありません)
 
 そしてここで「ちゃんぽん」が意味するのは、「長崎(地元)にしか無いもの」の象徴だと思われます。だから「ちゃんぽん食べたか」は「長崎に帰りたか(でもそれはできない)」が隠喩的に隠されていると思われます。長崎を遠く離れて生きる人たち・・・かつて生活の一部分に「ちゃんぽん」が含まれていた人たち、「食べたか(ぁ)」という言葉を日常的に使っていた人たちには、ここでさだまさしさんが何を言いたいかは(自分自身の現在とも重なり)痛いほどわかると思います。実際僕も、このドラマを見ながら何度か涙腺をやられました。

(2)先日、いただきもののキリンラガービールを、グラスに開けた時のことです。特に何の感慨もなく飲み始めた、自宅でのくつろぎの時間だったはずですが・・・。

口内にその芳香と味覚が広がる瞬間に、過去の様々な「体験」や「風景」が、脳内に押し寄せるようにフラッシュバックしてきました。(長崎の日暮れ時。高校での激しい部活の帰り道。急な坂道の中腹にあった酒屋の自動販売機。こっそり買って、スポーツバッグに隠し、持ち帰るスリル。予想をはるかに上回る苦い味。一缶を飲むのに3時間はかかったこと。その時FMラジオから流れていてロック。1983年・・・。)

断っておきますが、僕はキリンラガーに特別の愛着を持っていたわけではありません。むしろ、だからこそかもしれません。自分で買ってまで飲むとは思われない、この銘柄のビールを飲むという「ごくまれな体験」が、こういう現象を引き起こしたと思われます。味覚としては上位とされるモルツやヱビスビールなどのほかの銘柄のビール。それらではこれまでも決して起こらなかった現象。「味覚」と「体験」は、僕たちが顕在的に意識するよりも、さらに強烈に潜在下で結びついている。そう思わせる現象です。

(3)一つの仮説です。時間と空間を離れた場所での「相似する味覚」は人間の「無意識下の記憶」を呼び覚ますのではないか?そこで、ここに架空のストリーを提示します。

あなたは、外国の、例えばニューヨークのような場所で、仕事のため5年の月日を過ごしてきました。これまでは決して平たんな道のりではありませんでした。数々の苦労と失敗の積み重ね。それはともかく、どうにかこうにか5年の日々を生き延びてきました。冷淡で薄情と思ってきたニューヨーカーたちも、それぞれがそれぞれの暮らしに必死なだけで、決してそうではない。彼らなりのユーモアや優しさが見えてきたときに、あなたも少しだけ笑顔を見せる余裕が出てきました。そんな中、あなたの仲間数人が、サプライズであなたのバースデーパーティーを催してくれます。そこで、彼らがあなたを喜ばせようとSUSHI(寿司)が出されたとしたなら・・・たとえそれがインデイカ米だったとしても、刺身の切り方が不恰好であったとしても、ソイソースのほかにケチャップやマスタードが使われていたとしても、大量のフライドポテトが添えていたとしても・・・5年ぶりの和食、仲間の特別な思いやり、忘れかけていた故郷の記憶、封印が解かれる時・・・あなたは泣いてしまうかもしれません。

(4)ここまで書いてきて、はたと困ってしまいます。それは、「味覚」のような感覚を通してのコミュニケーションを考えるとき、相反する二つのベクトルが見えてきます。たしかに、「ちゃんぽん」というワードを使えば、特定の地域の人々に限定するなら、かなりのニュアンスが説明を要さずに伝わります。「キリンラガー」はある世代の人々には、懐かしさを思い起こさせるでしょう。日本人に限ってなら寿司は、ある種の共通言語となりえるかもしれません。しかし同時に、こう言った効果はとても限定的で、外野には多くの理解不能な他者がいることを感じさせます。

「共通する土台のない者には、伝わらない」・・・それは仕方のないことだとしても、「ちゃんぽんよりラーメンがうまい」とか「お雑煮に、あんこもちを使うなんて気持ち悪い」とか「アメリカ人の舌は大味すぎる」とか「アジアの料理は不衛生」といった言葉・・・分かり合うことを諦めるばかりではなく、わからないものを排除しようとする力、侮蔑的で、粗野で、偏見に満ちたおこないを前提するなら、こういった感覚を基にした表現は「自閉」であり「堕落」といえます。しかし、メランコリーは相当に強力です。時として、僕たちの自尊感情を不健康に働かせます。どうやら、このことを自覚しないといけないようです。

(5)想像力を発揮するなら、自分にとっては理解の範疇を超えていたとしても、また別の誰かにとっては大切である「何か」は確実に見えてきます。言い換えるなら、自分たちの中に見出す重要で大切に思うその「何か」と、ほかの人々にとっては別の「何か」が対称関係にあるということが、容易に理解できます。だから、完全なる理解は不可能としても、「アメリカ人にとってのチェリーパイ」を、「ハンガリー人にとってのグヤーシュ」を、「アラブ人にとってのデーツ」を、「僕にとってのちゃんぽん」に当てはめて想像することは可能です。

これまで、「食」を通して「何か」を説明してきましたが、当てはまるのは「食」だけではないことが理解できると思います。時代は、僕たちに分かり合うことの難しさを突きつけてきています。この命題の解決の糸口を、いま僕は考え続けています。

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