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zoom RSS オルフェウスと原子爆弾 (異常の連鎖、あるいは失われた継承とその再生)

<<   作成日時 : 2014/08/09 21:00   >>

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●前書き●

長い間
とても長い間、僕は長崎の原子野の像(イメージ)を受け入れられませんでした。
それはあまりに、具体的で、恐ろしく悲しく
幼少の頃、僕は毎晩の様に襲いかかるイメージに、苦しみ続けてきました。
端的に言って、許容力を遥かに越える、この悲惨の残像を
僕は必死に、まさに必死に逃げてきたのです。

しかし昨年、僕はこの事に決着をつけるべく
「オルフェウスと原子爆弾」という詩を、同人誌「活字以前」に投稿しました。

その際、僕は思いもよらぬ体験をしました。
夜明け前、ひとり最終稿をチェックのため、音読していたとき
それまで伯母からの伝聞でしかなかった原子野の痛歎が
突然、生身の感覚として、僕の中に入ってきたのです。
そして、気付いたら一人嗚咽していました。

これには心底驚きました。
今まで何度も聞いてきたはずの話
僕は、この時まで伯母の話を「自分の事」として捉えきれてなかった・・・
つまり、無意識に避けてきた隔たり、距離を思い知らされました。

ここでやっと、僕は「詩を書く事」の重大な意味をわかったのです。
自分の中に、他者の感覚が入り込んでくる感覚。
これは、多くの人にとって「わかり合える為の機会」になりうるという事です。

では、昨年投稿した「オルフェウスと原子爆弾」の全文を以下に再掲致します。



オルフェウスと原子爆弾
(異常の連鎖、あるいは失われた継承とその再生)
 
                       橘 正博

僕は、森をまるで冥界への入り口の様に感じる事があります。
仕事からの帰り道、自転車で運動がてらに度々登る四王寺山 。
ここに深い森があります。 森が、緑と黒で織りなす立体模様に広がってます。
奥に進むにつれ、深淵からの声が聞こえるかの様にも思えます。

戦争も、原爆も、大量虐殺も、3・11も、原発事故も
あらゆる災厄は起こらないが良いに決まってます。
しかし人間の営みは、いかにも実際的で現実の延長にしか想像力が働きません。
ならばこそ、実際の体験を通しての視点が、未熟な僕達の思考に
「どう生きるか」の貴重な指針を示してくれます。
そう気付く今、原爆投下直後の長崎に、嫁ぎ先の五島列島から救援に向かい
亡くなった家族を弔い、その後火傷を負った僕の父を五島に一時期引き取った
伯母の話・・・もっときちんと話を聞いておけば良かったと後悔しています。

●オルフェウスと原子爆弾
亡きあなたに会うがために
冥界へ向かうオルフェウスよろしく僕は、深く森の中
いや、本当はスープの様にとても熱く混沌の中
「僕」でもなく「あなた」でもなく・・・
溶融する「過去」も「未来」も「場所」さえもが、臨海流体を漂っている
鏡の如く、革命を、原爆を、神聖を、ただひたすらに瞑想する・・・
 
●浦上の地を彷徨う
「長崎は全滅した」と漁師に聞き、飛び出そうとするわたし
母や妹達が燃え盛る劫火の中で助けを呼ぶ様な気がした
「あんたがそがん鬼のごたる(そんな鬼の様な)顔して、いま行って何すると」
姑はわたしの腕を掴みを引き止め、窮地においての心構えを諭す
「こがん時こそ、人間は 泰然自若でおらんといかん」
かんころ餅、米、野菜、衣類、薬、少しの現金をリュックサックに

朝が来て、五島列島を離れ漁船で長崎に向かう
波間を見つめながら、わたしは修羅の覚悟を身にまとう
上陸する大波止より、一望する長崎市内
まるで壊劫(えこう)の終末の様相
爆圧に押し潰され、焦げ燻る 学校、工場、市庁舎のビルディング
そこにも、あそこにも人の骸が、焼け爛れ天をかきむしるかの様に
無念をはっきりと形に残している

わたしは浦上の地を彷徨っている
浦上天主堂も、学校も、懐かしい風景の一切が
私の知らないものへと変わり果て、静かに私を嗚咽させる
目印無き場所に、 残夢をたどるかのように
粒を探すかのような執念で、 かすかながらも痕跡を
浦上川と橋の位置から、歩数を計りようやく目星を付け
ようやく全てが、特異点に繋がった

原子野に
見慣れし柄のからむ骨
母と弟、面影見つけ


伯母はその後、理由あって離縁し、五島から長崎に戻り、教育者としての生涯を送ります。僕は、大変可愛がってもらい高校に通う二年間、伯母の家に暮らしていたこともあります。夕食の時、文学や思想や政治について議論するのが日課の様でもありました。
原爆の話を伯母から聞く事があったのですが、僕の許容力の無さと、いかにも胆力のある彼女の人柄もあって・・・この貴重な教訓としての惨劇を 僕はどういう訳か、彼女の「痛快なエピソードの一つ」として受け止めていた様に思います。僕は無意識に、逃げたのです。恐怖を真っ正面から受け止める事が出来なかったのです。

● 全ては「わたくしごと」から始まる
物理学に、時間と空間は対称であると聞く
ならば「昨日」が、確実にかつて「今日」であった様に
全ての「他人事」は、発端として「わたくしごと」に繋がっている
災厄を、フクシマを、原爆を、「わたくしごと」として引き受けるなら
おのずと、向かうべき方向も見えてくる
この異常の連鎖を断ち切る方策も見えてくる
全ては「わたくしごと」から始まる

核兵器は最悪の犯罪にして、あってはならない災厄だ
私達には手に余る、コントロール出来ない神の領域を
自信過剰な尊大さで、見誤る事も
「わたくしごと」で捉えるならば回避出来るはず
だから「わたくしごと」として訴えかけなければならない
だから「わたくしごと」として行動しなければならない
そして、「わたくしごと」を共有しなければならない

●私の目の前で
私の目の前で、妹の命が萎んでいく
全身に火傷を負い、ただ寝かされ
静かに命の灯火をくゆらせながら
私の目の前で、妹の命が萎んでいく
わたしは断固として、拒否する。拒絶する。
「弥生さん、弥生さん、しっかりしなさい。
お母さんも、無事だから、気をしっかりもちなさい。」
妹は私の嘘をキッパリと撥ね付けた
「お母さんは、死にました。私は見に行ったから知っているのです。
正毅ちゃんと常磐さんが、何処かの救護所にいるはずです。
姉ちゃん、後の事を託します。お願いします。お願いします。お願いします。」
私の目の前で、妹の命が萎んでいく
私の目の前で、妹の命が萎んでいく
私は消え行く命に静かに寄り添うしか出来なかった
弥生 昭和20年8月17日没、享年17歳

僕はこの原稿を、7月に書き始めました。
そして、お盆には墓前で朗読するつもりでいたのですが、どうにも納得のいくものが書けず、書いては消しての繰り返しでした。確実に伝えようとする「何か」があるはずなのに、どうしても表面をなぞっただけの説明文にしかならないのを感じたからです。
そして、書くべき事を反芻するうちに、悲しみや絶望感が僕に入り込んでくるのを感じました。とても、悲しく苦しい体験でしたが、新しい可能性も見えた様な気がします。
 しかし他方では、僕はやはり僕自身でしか無い事、つまり他者になりきる事など出来ない事も痛感しました。当たり前ですが、僕達は均一になるべきではないのです。むしろ多様性の中に価値を見つけなければなりません。生物は遺伝システムの中に、継承しつつも新たな創造と反復を生み出す事に生存適応の戦略を見出してるのですから。
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